【自己紹介】アレンってなにもの?出身から現在までを順に紹介します

こんにちは、アレンです!

タイトルにもある通り、この記事では私の自己紹介をしていこうと思います。

私の出身地などの簡単なプロフィールやこれまでの人生について紹介していきますので私の記事を読んで「どんな人が書いてるんだろう?」と思った人は、是非この記事を読んでください!

それでは早速いってみましょう〜

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簡単なプロフィール

まず、純ジャパですので、アレンという名前は本名ではありません。

飲食店でアルバイトしていた時に外国人のお客さんと仲良くなり、名前を聞かれて答えたら「お前の名前発音しづらいからアレンて呼ぶわ」と言われた経験が過去にあるので、その時の名前をそのままブログでも使わせてもらっています。

なお、アイコンで使っている画像は私本人とは全くの別人です(お願いした絵師さんがうますぎました笑)。

生まれについてですが、私は1998年に千葉県の北西部の街で生まれました。都心まで1時間弱のところにある、いわゆるベッドタウンというやつです。唐揚げそばが有名な街といえば、どこのことか分かる人もいるかもしれませんね。

兄弟構成は、いまどき珍しく、兄と姉が合わせて3人います。4人兄弟の末っ子というのもあってか、今になって思うとかなり甘やかされて育ったと思います(笑)

現在は都内の私立大学の文系学部の4回生をやっており、留年が確定しています

「あ、こいつ頭悪いのかな」と思いましたか?

実はこれも皆さんの日常を奪い去った新型コロナウイルスのせいなのです。

私は昨年の9月から12月にかけてIELTSという英語の試験で海外の大学への入学に必要なスコアを獲得したり、大学内での選考試験を突破したりして、晴れて交換留学生に選ばれることができました。そのため、4年次の9月からイタリアに留学する予定だったのです。

つまり、もともと「留学のために留年する」という形だったのです。ところが新型コロナウイルスが猛威を振るっている影響で留学が中止となってしまい、「ただ単に留年するやつ」となってしまったのです。

交換留学の中止が決定されたのが5月末頃だったこともあり、大学側も「今から就活は大変だろう」と判断してくれて、留年しても学費を納めなくていいことにしてくれたのは不幸中の幸いでした。

ですので、現在は留学から就職活動へと切替えて、半年ほど前から始めたプログラミング学習の実務経験を積むために、自社サービスを展開している会社でwebエンジニアのインターン生として働いています。

このように、英語やプログラミングの勉強に取り組んでいて「The 意識高い大学生(笑)」と揶揄されそうな気がしますが、小さい頃から勉強熱心だったかと言われると全然そうではなく、むしろ勉強とはかけ離れた生活を送っていました。

中学生時代

兄が野球をやっていた影響もあり、私は小学校1年生の頃から地域の野球チームに入り、本格的に野球を始めました。しかし、当時は野球よりもゲームが好きで、ゲームばかりやっていた記憶があります。

中学生のときは学校の軟式野球部ではなく、硬式のクラブチームに所属していました。1学年40人以上いて、毎年のように全国大会に出るような強豪チームです。実際に私の代でも全国大会準優勝をしました。ちなみに私は控え選手として試合にでている人をサポートしていただけです(笑)

そのようなチームだったので練習も厳しく、週5〜週6回(平日17時頃から21時頃まで)練習がありました。ですので、当然勉強する時間は取れず(言い訳ですが)テストも学年で半分くらいの順位を取るのが精一杯でした。

また、評定はテストの点数以上に悪く、通知表で半分くらいの科目が5段階評価のうち、2だったこともあります。なぜなら、宿題をやっていかなかったからです。とにかく宿題が嫌いで、「夏休みの課題未提出者」として12月になっても黒板に名前が書かれていたくらいです。提出する意味を感じられず、やったのに出さないということもありました。

このように、中学生時代は完全な劣等生だったのですが、運良く野球のスポーツ推薦をもらうことができたため、高校には進学できました。

高校生時代

高校生になってからは、より一層練習量が増えました。帰宅時間が22時以降になるのは当たり前で、遅い時は日付を跨ぐことも珍しくなかったです。

学校の先生たちもスポーツクラスには宿題を出さなかったり、テスト1週間前に対策問題を配布し、全部そこから出すなどの配慮をしてくれていました。賛否両論あると思いますが......

そのように、色々な人たちの支えのおかげで野球に集中して取り組めたこともあり、私が2年生の時に念願の甲子園初出場を果たしました。ちなみに私はスタンドで応援していました(笑)

3年生のときは、なんとかベンチ入りしましたが地区予選で惜しくも敗退してしまいました。ですので、世間一般的に高学歴と呼ばれる大学にスポーツ推薦で入学するというのは無理な話で、そういった大学に行くには勉強をするしかありませんでした。私は、夏の大会で負けて引退したその日の夜に予備校に見学に行き、その場で入校することを決めました。

まず初日に、どのくらいのレベルか判断するために過去の模試を受けさせられました。そこで私は偏差値33という、ある意味で驚愕の数字を叩き出しました。そこで本格的にまずいなと思い、夏休み中は毎日16時間ほど勉強しました。

これは、野球というスポーツに夢中になって取り組んだという経験があったからこそできたことだと思います。四六時中勉強のことを考えていた甲斐もあり、1ヶ月後に受けた模試では、偏差値を58まで伸ばすことができました。

そして、夏休み明けに行われた学年共通の実力テストでも、真ん中より上の順位を取ることができました。その結果、元から行きたかった大学の指定校推薦を取ることができたため、私の受験勉強は1ヶ月で終了となりました。学校自体が入学時の偏差値で70くらいある高校だったため、指定校推薦の枠がたくさんあり、とてもありがたかったです。

このような高校時代の経験から、何事でも正しいやり方である程度の量をこなせば、人並み以上にはなれるのだと思うようになりました。

大学時代〜現在

大学生になってからしばらくは、きちんと授業に出席しつつアルバイトをして、そのお金で時々遊びに行くという、ごく普通の大学生活を送っていました。授業以外に勉強はほとんどせず、週6でアルバイトをしていたこともあったので、もう少し有意義に時間を使えばよかったなと後悔しています。

そのような生活を送っていた私が授業以外にも勉強をするようになったきっかけは、1年次の春休みにアルバイトで貯めていたお金で行った短期語学留学にあります。

よくある「海外に行って価値観が変わった」というやつですね(笑)。ちなみに私の価値観を変えてくれたのは、いろいろな国の学生との出会いでした。

当時の私が英語を勉強していた理由は「就活で役立ちそうだから」というものでした。しかし、他の国の学生は、「海外でビジネスを展開したいから」という理由で勉強していたのです。私は観ている世界の狭さを痛感させられました。

これは日本という、島国であるのにもかかわらず経済が発達していて、一生日本にいても人生を終えられる素晴らしい国に生まれた弊害でもあるかと思います。本当はこのこと以外にも、価値観を覆された出来事はたくさんあったのですが、この記事ではここまでにしておきます。

このように価値観を覆されたのですが、当時の私はほとんど英語を話すことができなかったこともあり、彼らの話を深いところまで聞くことができなかったため、英語力を上げてからもう一度留学に行きたいと思うようになりました。

そのため、私は交換留学生を本気で目指すことにしました。学費がかからず、生活費も大学から支給してもらいつつ海外の大学に留学できる交換留学という制度があることは知っていました。しかし、なるための条件(優秀な成績 + 海外の大学で通用する英語力)が厳しかったため、行けたらいいなくらいにしか思っていなかったのですが、この短期語学留学の経験で覚悟が決まりました。

こうして私は英語の学習に日常的に行い、学校の成績もあげるために、集中して授業に取り組み始めました。試行錯誤を繰り返して英語学習を継続した結果、留学に必要な英語力を身に付けることができ、交換留学生になることができました。

交換留学生に選ばれたことで英語学習が一段落して、勉強することがなくなったため、なにか他に勉強を始めようと思い、プログラミングの勉強を始めました。プログラミングを選んだ理由は、将来の選択肢を広げられそうだなと思ったからです。

このような大学生活を過ごして現在に至り、これまでの経験で得たノウハウや、私の日常のことなどを発信したいなと思い、こちらのブログを書かせていただいている次第です。

アレンのこれから

このように、大多数の大学生と比較して、勉強をに力を入れて、英語とプログラミングの基礎を身に付けた私ですが、将来明確に就きたい職業は決まっていません。

現時点では、機械学習エンジニアや飲食店で働くことにも興味があります。この2つ、全然分野が違いますよね(笑)

一度しかない人生なので、一つのことに絞らず、いろいろなことに挑戦していきたいと考えています。そのなかで獲得したノウハウや役立つことなどをこのブログで発信していきますので、定期的にこのブログに訪れてくださると嬉しいです。

ここまでお読みくださりありがとうございました!

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